あれは小学生の頃だったか、いや中学生だったか、どうやってそこまで行ったのか、自宅から市境を超え片道7キロほどの道のりを自転車で向かったのか、そのあたりの記憶は定かでないけれど、とにかくそこにあった巨大なトンネルの記憶は子供心に強烈に刻まれている。
日本が戦争をやっていた頃、そこで密かに「戦闘機を作っていた」とか「作るつもりだった」とか「実は飛行場だった」とかいう話を聞いた覚えがある。敵に見つからぬよう山をくり抜いて作られた幾筋ものトンネルは、とにかく規模が大きく、太い部分は直径10数メートルほどあったように思う。なにしろ子供の頃の記憶なので、大きく感じただけで実際はもっと狭かったのかも知れないが。
今日イヴェントを観に行ったついでにそこへ行ってみると、かつてのトンネルの出入口らしき場所を1箇所だけ確認できたが、コンクリートの壁と鉄の扉で閉ざされており、その脇には説明の看板が立てられていた。昔は東西方向、南北方向に掘られたトンネルの入り口が何ヶ所かあって、そこから自由に出入りすることができた。看板の説明によるとトンネルの総延長は8159メートルにも及んでいたとの事なので、僕が子供の頃に歩き回っていたのは、たぶん全体の1/10にも満たないエリアだったと思われる。
また、この辺りは太古の昔、海だったと言われている。その証拠に土の露出した山肌からは、貝の化石が普通に顔を覗かせているし、ここでは過去に「デスモスチルス」という生き物の化石も見つかっていて、トンネル山の隣には「化石博物館」もある。
今回はイヴェント会場にしか寄らなかったけれど、この辺りは近いうちに是非1度ジックリ腰を据えて散策してみたいと思っている。
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