またまた大きな台風が接近中という事で、今日も“しとしとピッちゃん”な空模様。さすがに「ヘクトパスカル」の聞き過ぎで耳にタコができてしまった。「今日はインドアなフレディーだったので、特に書くことはありません。ではまた明日~」と、言うわけにもいかないので小ネタでも披露してお茶を濁すとするか。
写真はうちのトイレ。掛かっているのは僕が二十歳の頃に描いた絵だ。この絵を描いた頃の僕は若者にありがちな悶々とした日々を送っていた。だからこの絵には「今あるものをすべてぶっ壊して脱出したい!」という気持ちを込めて“Break Out”とタイトルをつけた。
あの頃の僕はアクリル絵具とエアーブラシを武器に、夕焼けの海ばかり描いていた。「イラストレーターになりたい」「グラフィック・デザインもやりたい」そう思いつつもなかなかチャンスをつかむことができず、悶々としながら「いつかは自分のスタジオを持ちたい」と夢みる、極々ありふれた青年だった。この写真ではわかりにくいかもしれないが、この頃描いた絵には必ず【sound & visual SUNSET STUDIO】という架空のスタジオの名前をクレジットしていた。ミニFM局をやっていたのもちょうどこの頃で、番組も【SUNSET STUDIO presents】と銘打っていた。
そして今、僕はまがりなりにも自分のデザイン事務所を構えている。たった1人のセコい事務所だし、あの頃思い描いていたスタジオとはかなり違う雰囲気だが、トイレに入るたびに二十歳の頃の夢と対峙し、褪せることのない夢をいまだに見続けている。
写真はうちのトイレ。掛かっているのは僕が二十歳の頃に描いた絵だ。この絵を描いた頃の僕は若者にありがちな悶々とした日々を送っていた。だからこの絵には「今あるものをすべてぶっ壊して脱出したい!」という気持ちを込めて“Break Out”とタイトルをつけた。
あの頃の僕はアクリル絵具とエアーブラシを武器に、夕焼けの海ばかり描いていた。「イラストレーターになりたい」「グラフィック・デザインもやりたい」そう思いつつもなかなかチャンスをつかむことができず、悶々としながら「いつかは自分のスタジオを持ちたい」と夢みる、極々ありふれた青年だった。この写真ではわかりにくいかもしれないが、この頃描いた絵には必ず【sound & visual SUNSET STUDIO】という架空のスタジオの名前をクレジットしていた。ミニFM局をやっていたのもちょうどこの頃で、番組も【SUNSET STUDIO presents】と銘打っていた。
そして今、僕はまがりなりにも自分のデザイン事務所を構えている。たった1人のセコい事務所だし、あの頃思い描いていたスタジオとはかなり違う雰囲気だが、トイレに入るたびに二十歳の頃の夢と対峙し、褪せることのない夢をいまだに見続けている。
コメント
コメントを投稿