さよならPUNちゃん

 今日、愛車プンちゃんが僕の手元を離れて行った。愛車との別れはいつも僕を“おセンチ”な気分にさせる。クルマなんてただの「移動のための道具」ではないか。という意見をお持ちの方もいるだろう。だがクルマにはその「移動の記憶」が詰まっている。大げさな言い方をすれば、僕にとってクルマは「人生の記憶装置」の一部なのだ。特にプンちゃんに関しては特別な事情から手放さざるを得なくなり、少々複雑な気持ちで送り出す事になってしまった。ごめんねプンちゃん、次のダンナさんにかわいがってもらえるよう祈ってるよ!

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 プンちゃんにはセカンド・チャンスがあるからまだいいが、僕の2台目のクルマ「フローリアン」には次がなかった。廃車という形でのお別れだったからだ。歴代の愛車の中で僕が最も愛したクルマ。それがフローリアンだ。あれは十数年前…カノジョとコンビニでの買物を済ませ、バックしながらハンドルをいっぱいに切りクルマの向きを変えようとした時だった。リア・ウインドーに突然電信柱が現れた。グシャっという鈍い音とともに僕のシーラちゃん(古風な形が、まるでシーラカンスのような印象だったので僕はこのクルマをそう呼んでいた)の後部が「クシャおじさん」の顔のようになった。修理不可能→廃車。その数日後「クルマの墓場」のような場所まで運転して行き、シーラを置き去りにしてきた時の事は一生忘れないだろう。車を降りる前、車内をじっくり見回した。シーラのアナログ時計に目が止まった。秒針が何も知らずに時を刻み続けていた。

 そんな感傷的な気分からかどうかはわからないが、今日トイレで用を足している時、唐突に僕の頭の中で「元祖天才バカボン」のエンディング曲がグルグル回り始めた。哀愁あふれる物悲しい曲だ。しかしトイレを出てきた時の僕はさらに複雑な気持ちになっていた。「バカボンのパパって僕と同い年だったんだぁ」

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