QUARK/深町 純(1980年)

 僕は仕事に集中するための道具として音楽を聴く事が結構あります。しかしそんな場合、どんな音楽でもいいというわけには行きません。大好きな曲が次々に流れてくると、どうしてもそっちに気持ちが引っ張られちゃうので、かえって集中を欠きます。かと言って「癒し系」とか「環境音楽」などと呼ばれる「やたら平坦な曲」を聴いてると、ちょっとイライラして来ます。

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 さて、またまた深町 純です。このアルバムは彼1人の演奏を多重録音する事で作られています。これがもし1980年代中盤以降であれば「打ち込み」と呼ばれたかも知れませんが、MIDIという超便利で超強力な規格が日本の市場に登場したのが1983年ですから、このアルバムが完成したのは、その3年前という事になります。
 つまり、ここで聴く事のできる音は基本的には手弾きによって奏でられている。という事になります。ま、一部にシーケンサーも使われてはいますが、MIDI以前のシーケンサーってやつは本当に単純なシーケンスしか入出力できませんでした。僕はかろうじてMIDI以前と以後をリアルタイムで経験できた世代ですが、デジタル前夜のあの頃はアノ手コノ手の創意工夫でトライ&エラーを繰り返していた時期だった気がします。
 ドラム・マシーン、キーボード、エフェクターなどは、あくまでも単体として存在しており、互いを連携させたり、それらを集中管理するなどという事は夢のまた夢でした。MIDI登場のおかげで、それに対応した楽器や機材どうしをケーブルで結び、シーケンサーでそれらをコントロール、自動演奏させる事が可能になりました。つまり、その気になれば楽器を弾くスキルのない人間でも多重録音なしで「1人バンド」や「1人オーケストラ」が可能になったわけで、同じ演奏を同じ音で何百回でも何億回でも再現できるようになったのです。

 あ、すいません。前置きが長くなっちゃいましたが、「だからこそ」なんです。だからこそアナログ楽器や多重録音によって作られた作品には重みと凄みを感じるんです。だってあの頃のシンセサイザーには音色を記憶する機能すらなかったんですよ。何時間も必死になってツマミを上げ下げしたり、零コンマ何ミリ単位で回したりして、自分のイメージに近い音を作ったとしても、次に別の音を作っちゃったら、もう2度と前と同じ音を再現する事ができないんです。いや、似たような音は作れますよ。でもねぇ、どこかが絶対違うはずなんです。それがアナログなんです。
 このアルバムは、同じような方法で作られた他のミュージシャンたち(冨田 勲、ウォルター・カーロス、ヴァンゲリス、喜多郎など)の過去の名盤と比べると、重ねた回数は少ない方だと思います。でも僕はこれ好きだなぁ。10分を超える曲がA面B面2曲ずつ収められています。ま、CDにはAもBもありませんけどね(笑)少なくとも僕にとっては仕事に集中させてもらえるアルバムなのです。



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