アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生

「生きるように撮り、撮るように生きる」
「死にゆくその日も、写真を撮っていたい」
「セレブリティー達はなぜ彼女の前で裸になるのか」

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ANNIE LEIBOVITZ : Life Through A Lens
��2007年/アメリカ)

 思春期の頃から写真を撮るのは嫌いじゃありませんでした。カメラという機械にも興味がありました。でも他人の撮った写真にはそれほど興味が無く、「こんな写真を撮りたい」という具体的な目標も理想も無く、ただシャッターを押して、プリントされた結果を見て「これはつまんない」とか「これはまぁマトモかな?」とか「これちょっとイケてるんじゃない?」とか‥‥写真って、まぁその程度のものだったんです。

 その後、一眼レフを手に入れて、絞りとシャッター・スピードの関係がどーの、レンズがどーの、といった理論的な部分を独学で勉強したりして、生意気にもリバーサル・フィルムなんぞをカメラにぶっ込んで、海外旅行なんぞに出かけても、一生に一度しか出会えない素晴らしい景色を目の前にしてるというのに、それをしっかりと心と体で味わうよりフィルムに記録する事を優先するような、そんな人間でもありました。

 あ、ここまでは僕の話です(笑)で、今回観たのはあるフォトグラファーのドキュメンタリー映画。アニー・リーボヴィッツという名前は知らなくても、全裸のジョンがヨーコに抱きついてるあの写真はきっと見た事があるでしょ? ジョンが亡くなる数時間前に撮られたというあれです。あれを撮ったのが誰あろう彼女。

 なんかね、最近僕は写真に対する考えが自分でもビックリするほどデングリ返ってまして、カメラがどーの技術がどーのって事より、それを撮った人の方に興味が集中するようになったわけです。例えば「その人にとってカメラは何をするための道具なのか」「なぜそれにカメラを向けたのか」「何を記録しようとしたのか」そんな事を想像させてくれる写真に出会うと、明らかに脳内で何かが分泌されてる気がするのです。

 「一瞬を切り取ってそれを定着させる行為」って、とてつもなく不自然で特別な事だと思うのです。カメラを持って街を歩いていたりすると「あ、1秒前にシャッターを切ればよかった」そんな事は茶飯事でありまして、「平凡」の中に潜む「特別」をキャッチして「考えるより速く切り取る」それができるかできないかは「0コンマ何秒」の世界なわけです。これは決して反射神経だけの問題ではなく、何て言ったらいいんでしょうか‥‥その人の欲の深さ、というか渇望感、というか、欠落した何かを埋めようとする必死さ、のようなものが必要なんじゃなかろうか。そんな気がするわけです。

 あ、すいません。映画の話をしてませんね(笑)この映画の主人公アニーさんはロック・ミュージシャンの写真で高い評価を得た後、被写体や作風の幅をどんどん広げて行ったエディトリアル畑のフォトグラファーですが、その被写体に負けず劣らず彼女の人生もまたドラマティックだったようです。映画の説明や感想もそこそこに唐突に締めくくりますが、写真を撮る人と撮られる人の関係って凄く面白いのです。僕にとってこれは「やっぱりね。そうだよね」そんな感を深めた作品でありました。



コメント

  1. ひげさん、おひさしぶりです。
    私も観たのですが、何が言いたいのか
    私には掴めなかった映画です。

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  2. 【かわさんへ】
    どうもご無沙汰しております。
    たしかにこの映画は
    描き方がちょっと表面的すぎたかも知れませんね。
    でも、インタヴューに答える被写体経験者たちは
    尋常じゃないほど豪華なラインナップで
    彼らの言葉のひとつひとつは、とても興味深かったです。
    僕なんかもうそれだけでお腹いっぱいでした(笑)

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