後編

 というワケで1月21日の日記の後編です。今日はお寿司を食べてきました。いつもblogにコメントをいただいている「へ○○ん」さん(え? 伏せ字にする意味ないって? まぁいいじゃないですか)に、お仕事の打ち合わせという名目でご馳走になっちゃいました。結局は「打ち合わせ」なのか「オフ会」なのか「打ち上げ」なのか、そのすべてのミクスチャーなのかわかんないんですが、とりあえずお寿司は最高でございました。

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 僕は年齢的にはとっくに「いい大人」ですが、ライフ・スタイルにアダルティーな部分がほとんどなく、お酒もたしなみませんし、フーゾクに行った事も、キャバクラに行った事も、ストリップを観た事も、お見合いをした事も、髪形を七三にした事も、騙し騙されのスリリングなラヴ・ゲームを楽しんだ事も、爪楊枝を口にくわえて居酒屋から出てきた事もないお子ちゃまな男であります。そんな僕にとって寿司屋の大将とフェイス・トゥ・フェイスに相対するカウンターでビールを飲み、寿司を食べるだなんて、シークレット・ブーツを履いた足で思いっきり背伸びをし、さらに竹馬に乗るのに近く、ふくらはぎが「こむらがえり」を起こしそうな行為でございます。

 しかし大将はとっても気さくなお方でした。風貌はハードボイルド小説でおなじみの北方謙三から少し油を抜いたような感じ。へ○○んさんはとっても明るいお方で、時折「水戸黄門(東野英治郎ヴァージョン)」を1000倍に増幅したような笑い声を店内に響かせます。カウンターは顔をこわばらせて座る場所ではないんですね。

 たしかに寿司屋は子供には似合わない場所かもしれませんが、かと言って「竹馬に乗って行く場所でもないんだなぁ」と思いました。ベルトコンベアで流れてくる寿司は「寿司ではない」大将はそうおっしゃいました。確かにそうかもしれません。職人の「Soul」が込められていない回転寿司は、大量生産の工業製品のようでもあり、チャップリンの「モダン・タイムス」をも連想させる代物です。その日その時に1番美味しいネタを見極め、そして客に出す。もちろんこだわります。自信もあります。技に裏打ちされたプライドもあります。客は「満腹になりたい」から行くのではなく「美味しいものを食べたい」から行くんです。そんな客の信頼を裏切らないためには、常に「気を抜かず」「手を抜かず」「妥協せず」そして客の満足げな顔に喜びを感じられるフレッシュな感性が必要なのでしょう。

 僕は料理人ではありませんが、職人としての「Soul」は常に持ち続けていたいと思っています。こむらがえりを起こしそうになりつつも僕は静かに深く職人の波動を感じ、受け取りました。ホントに良い夜でございました。へ○○んさん、そして大将、ホントにありがとうございました!

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