境界線のあたり

 blogを始めてからの僕は、外出時に必ずデジカメを持ち歩いている。気になるものや珍しいものを見つけるとすかさず腰のチョーク・バッグからデジカメを取り出しカシャっとやる。撮った時点では何の脈絡もないそれらの写真も、並べて見ていると思わぬ共通点が浮かび上がってくる事があってオモシロい。
 今回はそのパターンで行ってみよう。写真をクリックすると拡大されるのでお試しあれ。

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【写真左】歩道に置かれた水槽。最初は巨大なマリモが入っているかと思ったが、立ち止まってよく見てみると数匹の地味なお魚ちゃんが目を丸くして泳いでいた。「どうです? お魚ちゃんかわいいでしょ? ご通行中のあなたもこれを見てホッと一息ついてくださいな」というオーナーの声が聞こえて来そうだ。手作りの台が「オレのサービス精神は本気だぜ」と言っているように見える。
【写真中】車道に置かれた廃タイヤを利用したプランター。中央に写っている物などはご丁寧に白くペイントしてある。「ここには駐車しないでね」というメッセージが込められていると思われるが、植物の緑がそのメッセージを柔らかく伝えるための機能を果たしている。
【写真右】「駐輪禁止」の標識に設置された新聞ホルダー。何度かの雨をくぐり抜けてきたであろう変色した新聞紙が挟み込まれている。誰が何のために設置したのかは不明。いつも通る場所にありながら、最近までその存在に気付かなかったのだが、一度気付いてしまうと気になって仕方がない。いつかこのホルダーから新聞紙を引き抜いて読んでいる人を目撃できないものかと期待している。

さて、この三つの写真の共通点は…?

「公共の場に置かれた私的なアイテム」それが僕が見出した共通点だ。シビアに見れば、どれも「道路交通法」か何かに引っ掛かっているのだろうが、イチイチそんな事に目クジラ立ててたら警察官が何人いても足りないし、世の中がセチ辛くなってしまうので誰も何も言わないし、それ以前に僕がそうであったように誰もその存在に気付いていない可能性すらある。
 “公”と“私”の境界線のあいまいさを象徴するこれらのアイテムたちは、もしかしたら我々の生活がギスギスしたものにならないための緩衝材の役割を果たしているのかもしれない。そういう意味では役に立っていると見ることもできるが、時々“公”にジリジリと侵食してきている“私”を見かけることもある。既成事実を地道に積み上げながら自分のテリトリーを拡大しようとしている“私”に対しては、毅然と「NO」と言うべきだろう。そのあたりの見極めはとても難しいんだけどね。

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