無音チェック

 ついに「Net Groovus」の編集作業に突入した。まずは月曜にDJロマネスクと録音した声データの整形作業からだ。僕の番組作りの手法や理想形はロマのそれとは根本的に異なっている。
 彼は頭の中でかなり具体的な完成予想図を描き、それに近づけていく形で番組を作る。僕はどんな食材でもいいからとりあえず「まな板」に乗せ「さぁ、これをどう料理しようかな?」と考える。まさに彼は芸術家タイプで僕はデザイナータイプなのだ。
 僕はかつて「RADiO RE-MIX」という番組を作っていた事がある。これはタイトルが示す通り「音を“リミックス(混ぜ直し)”する事」によって素材のうま味を引き出したり、もともとその素材が持っていない魅力を創出したりする事をねらった番組だった。今にして思えば「ハプニングはウェルカム!」「結果オーライ!」という誠に僕らしい番組だ。
 ロマとフレディーが組んで「PiNBALL WORKSHOP」という番組を作っていた頃には、僕らはスタンスの違いから幾度となく衝突したが、スタイルの違う二人が組んだからこそエンターテイメントとしてのバランスがとれていたようにも思う。

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 しかし、こんな僕らにも共通するこだわりがある。それは「間(ま)」だ。これは例えば「間のいいしゃべり」を心がけるとか、そういう事ではなく、単純に「無音」の部分に対して神経を集中するということだ。僕やロマは青春時代に「スネークマン・ショー」の洗礼を受けている。「スネークマン・ショー」とは桑原茂一というキレ者プロデューサーの指揮のもと「伊部雅刀」「小林克也」「YMO」などが集結して作られたレコードの事だ。もともとはラジオ番組として放送されていたらしいが、番組が終了した後レコード化され大人気になった。「スネークマン・ショー」は政治を過激に風刺したり、単なる下ネタだったりというドラマ部分と、当時の最先端の音楽とを交互に並べて作られているのだが、どこに最も感心するかというと「間」なのだ。つまりギャグから曲に移行するときの一瞬の「無音」がオモシロさを100倍にも1000倍にもする事に僕らは気付いていた。番組の内容によって「無音」を短くすべきか長くすべきかは決まってくる。そしてジャストのタイミングで曲が流れ出した時はガッツ・ポーズをとりたい気分になるものだ。

 話はラジオからそれるが、レコードやCDで音楽を聴いていると、最後まで心地よく聴く事ができるアルバムと、一つ一つの曲はいいのに全体としての心地よさが感じられないアルバムがあることに気付く。その原因の一つに「無音」部分への配慮の問題がある。たとえば「1曲目のエンディングでボリュームが徐々に下がっていき、無音になり、2曲目が始まる」という場合、無音になっても我々の頭の中では1曲目の音楽がなり続けているため、2曲目は頭の中の1曲目をジャマすることなく入って来なければならない。つまり最初の曲のテンポによって無音の長さはおのずと決まってくるものなのだ。この基本ルールを知っていれば、意識的にタイミングをずらす事によって聴く人に居心地の悪さや違和感を与えたりする事も可能になってくる。
 などと書くと、この先「Radio Groovus」や「Net Groovus」への『無音チェック』が厳しくなりそうだな…。自分の首を絞める結果とならなければよいが……

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