洪水の思い出

 今日「近畿、東海、関東甲信地方が梅雨明けしたと見られる」との発表があった。皮肉な事にそんな今日、新潟では集中豪雨による被害が出ている。

 思い起こせば僕にも「洪水」の思い出がある。僕の記憶が確かなら、僕が住んでいた実家は過去に二度「床下浸水」の被害に遭っている。一度は小学生の頃、二度目は中学生の時だったと思う。一度目の浸水はガキんちょだった僕には、水浸しになった町を友人とはしゃぎながらジャバジャバ歩き回った記憶しかないのだが、二度目の浸水はよく覚えている。

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 まず、浸水発覚がセンセーショナルだった。深夜、突然我が家に大きな警報音が鳴り響いた。驚いた母が音の出所を確かめるため布団から飛び起き台所へと向かった。どうやら「ガス漏れ警報機」が鳴り出したようだ。それまでも何度か誤作動で突然鳴った事があったのですぐに察しがついたようだ。我が家の「ガス漏れ警報機」は床より一段低いところに設置してあったため、母は真っ暗な中しゃがみこみ手探りで警報機のスイッチに手を伸ばした。その0.3秒後…「おとうさーんっ!おとうさーんっ!たいへーんっ!み、み、みず、みずーっ!」完全にパニック状態だ。
 すぐさま家族全員飛び起き、何が起きているのかを確認。さーて、どうしたもんか…。その時点での水深は30cmくらいだっただろうか。このさき水量が増せば当然「床上浸水」もありうる。そんな時にできる事はと言えば、低い場所に置いてあるものを高い所に移動させる事くらいだ。深夜から朝にかけて家族全員でせっせと物を運び続けた。

 朝になり町内を一周。被害の全貌が明らかになった。大人たちは慌ただしく動き回り、子供たちはかつての自分がそうであったようにはしゃいで走り回っている。人の動きや車の走行によって大波小波が家の中に押し寄せてくる。水面が床下ギリギリの状態では波は禁物。なんとしても床を守らねば。「頼む!もっと静かに歩いてくれ!クルマは通るな!」そう心の中で叫びながら僕は波を食い止めようと必死だった。幸い水量はそれ以上増えることなく、水は数時間かけてゆっくり引いて行った。

 しかし本当にたいへんなのは水が引いた後だ。いたる所にゴミや瓦礫(がれき)が散乱している。それらを一つ一つ拾いトラックに積み込む。その後は市役所から衛生車がやってきて町中を消毒。当時はまだ水洗トイレのない時代で、いわゆる汲み取り式のトイレしかなかった。つまり浸水するという事は町中が大きな「肥溜め(こえだめ)」になるという事を意味する。今にして思うとよくそんな所をはしゃぎながら走り回っていたものだと愕然(がくぜん)とする…。 被害に遭った地区の生徒は学校になど行ってる場合ではないのでその日は欠席するのだが、おもしろい事に何週間かすると、被害に遭った生徒には学校から「お見舞いの品」が送られる。と言っても鉛筆を数本くれるだけなのだが、その鉛筆にはご丁寧に「浸水被害見舞い」と刻印されていたりする。当時の僕は子供ながらに「これは偽善だな」と感じた。

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